アンティーク時計店主のつぶやき

オーストラリアにある高級アンティーク時計専門店メルシーウォッチの店主が綴る、何気ない日常の生活や仕事にまつわるお話しです。

移民の受け入れに思うこと Part3

移民の話が増えている中で、いろいろと心配事や問題ごとはありますね。

巷で問題視されていることを考えてみると・・・


移民を受け入れたら治安が悪くなるのか?

これは間違いなく「悪くなるはず」です。

といっても、「移民=悪い」というわけではなくて、移民をしてすぐに満足な生活ができる人なんてそう居るわけがないからです。これが犯罪を起こさせる原因になることは確かです。

移民として住みはじめた人が、満足な職や給料を得られるのかというと、言葉が満足にできない・技術が無い、また技術があっても言葉ができないのでは、なかなか仕事にありつくことはできません。

移民という決断をした・決断ができる時点で、その人たちはまず間違いなく「大人」であるわけですから、スポンジのようにすべて吸収してしまうような学生という年代ではまず間違いなくないはずです。

これはここオーストラリアでも同じことで、若いうち、それこそ中学生程度の頃までに移民をしてきたのなら、言葉も現地の人と変わらないほどしゃべれるわけですが、大人になってから移民をしてきたのでは、まず完全な言葉はしゃべることができない可能性のほうが高いですし、年齢が高くなるほどそれは顕著になります。

そうなるとどうなるのかというと、職が無い・お金が無いとなると、本人が望む・望まないは別にして、生きるために犯罪を犯さなければならない可能性というのは高くなります。

ここオーストラリアも移民が多い地域というのがありますが、概して治安はあまり良くない傾向にあります。

そうなると、治安自体はどうしても悪くならざる負えないというのはあるでしょう。ただ、それをできるだけ避けるために、移民がスムーズに生活できる方法を考えなければいけないのは間違いないでしょう。

生活の保護であったり、就職支援であったり、移民としてただ人を入れるだけではこういった問題というのはどうしても起こってくるはずです。



移民に町が乗っ取られてしまう?

小さな地域単位でみれば、確かに移民が偏って多く住んでしまうことは間違いなくあります。

その理由は、ここオーストラリアでもそうなのですが、やはり自分の生れた国ではないですから、皆不安なところはありますし、近くに同じ人種の人間がいると、心安く交流はできるし、いろいろなことを教えあったり、頼りあえるところがあるのです。

またそういう風に人が集まり始めると、例えば一番顕著な例で、オーストラリアの中国人の話で言えば、そこに食材店やレストランが開き、中国人を対象にしたサービスのお店が開き、そしてその周りに中国人が多く住みはじめます。

そうすると、そのエリアには中国人が多く住むようになり、逆に西洋系の人たちが引っ越して出ていくようになり、さらに中国人が増えていくといったことが起こってきます。

そうなると、そのエリアに中国系の人たちが非常に多いという現象は起きてくるわけです。

日本国内でいえば、ちょっと安直な考えからですが、こういう現象が起きている場所といえば、横浜や神戸の中華街、大阪のコリアタウンなどがそうでしょうか。

ではこれがダメなことなのかというと、そういうわけではなくて、そこに住む人たちは、同じ人種の人たちが多いから住みやすいと感じるようになり、その人たちに向けたサービスがそこに存在することで、便利に生活できる場所だから、さらに人が集まるようになるというだけなのです。

これは何もないところに「町」ができるという工程、そのままではないでしょうか。

移民に限らず、何もないところに町ができてきたのは、こういった形だったのではないでしょうか。

乗っ取られるというよりも、人が偏って住んでしまう町・エリアというのはでてくるはずです。



国を乗っ取られる?

これに関しては、場所によっては、中国系や韓国系の人たちが、そのエリアを占領するのではないか?などまともしやかに話されていますが、まったく現実的ではないと思います。

確かに小さいエリアごとに見れば、移民が多いエリアというのも出てくるかもしれませんが、国単位で考えれば、人口のほとんどは日本人なわけですから、万が一都合が悪いことになれば、それこそ法律を変えられる力があるのは日本人です。

移民がいくら増えたからといっても、今のようにほぼ100%に近い人が日本人という現状ではまず起こり得ることではないでしょう。

オーストラリアでは、現在人口に対して25%以上が海外で生まれた人(移民)だとされているわけですから、そのオーストラリアでもそのようなことが起こっていないことを考えると、まず有り得ないことだと考えて間違いないでしょう。

マスコミなどで、親が祖国からの密命を帯びて、子供をそのように教育するなんていう話も言われていますが、残念ながらまずそんなことは現実問題として起こりえないと思います。

理由は非常に簡単で、私もオーストラリアで生活をし子供がいますが、子供がここで生活をし学校に行くようにでもなれば、子供たちはここでの教育を受け、ここでの友達を作り、ここでの言葉をしゃべり、ここでの文化や暮らしに影響を受けるわけです。

親がいくら言っても子供が言うことを聞かない、思い通りにはならないように、オーストラリアで子供を持つと、子供に日本語をしゃべらせることすら簡単ではないのです。

理由は簡単で、子供の生活はほとんどが外・学校を中心にして動いていくわけですから、ほとんど英語しかしゃべらなくなっていきます。

私の子供たちも、日本語をしゃべる友達よりも、英語をしゃべる友達を選ぶくらいですから。

オーストラリアにも、中国や韓国の移民は多くいますが、移民の第二世代は英語をしゃべり、母国語を生活レベルでしゃべることができれば良いほうで、敬語ができる・言葉を書ける・言葉を読めるということになると、できる子供のほうが少ないくらいです。

子供が普通にその国で暮らしていけば、もうその子供はその国の子供であって、親の祖国とはほとんどつながりは無くなってしまうわけです。

親が密命を帯びていたからといって、子供に引き継がせることはまず無理でしょうし、孫の代なんていうのを考えれば、私の場合なら、孫が日本語を理解できるかどうかすら怪しいものです。

マスコミで変な議論がされていることがありますが、これはまったく現実味がないものだと思います。



移民が増えると生活保護などがかさむ?

これは上でも書いたように、満足な生活ができる、もしくは最低限の生活ができるようにはすべきですから、必ずそういった負担はでてくるものです。

国として長い目で見た場合、確かに移民の第一世代である人たちには、何らかの保護が必要になってくるかもしれません。

でも、よく考えてみれば、その次の世代・第二世代、孫の第三世代ともなれば、言葉の問題も無く、それこそ日本人と変わらない人たちばかりになるので、そういった生活保護も要らないはず。

となれば、第一世代については投資であると長い目でみて、第二・第三と続く世代が国を支えてくれると思えば、そこは目をつぶらなければいけないところだと思います。

ただ第一世代だけを見てお荷物だと思うのは、それは大きな間違いだと思います。

将来的に移民の受け入れが決まれば、そんなことがニュースになったりするのかもしれませんが、国家百年の計といいますが、本当にそのくらいの目でみていかなければならないことですね。



日本人が住みにくくなる?

これは一面ではそういうところもあるはずです。

例えばどんなことかといえば、移民をしてくる人たちのそれぞれのお国柄・背景・文化や生活習慣はまったく違います。

日本人であれば常識であるマナーや習慣が、移民たちにとっては当たり前ではないわけですから、そこは教えていくのか、彼らが慣れるまで待つのか、変わらないものであるのかといったものはあります。

生活習慣でもそうですし、商習慣でもそうですし、いろいろなことが違います。

そういった意味では、日本人が「そういった人たちもいるんだ」と、温かい目で見る必要もあるでしょうし、言葉がわからなくてそうしていることもあるかもしれませんし、習慣を知らずにそうしていることもあるかもしれませんから、教えていくことも必要になっていくはずです。



ちょっとつれづれなるままに綴ってみましたが、また思いついたら書き足していこうと思います。