アンティーク時計店主のつぶやき

オーストラリアにある高級アンティーク時計専門店メルシーウォッチの店主が綴る、何気ない日常の生活や仕事にまつわるお話しです。

足りないことは良いことでもある

日本は、今朝はかなり冷え込んだみたいですね。

当店のあるメルボルンは、今は初夏にあたるので、今日の日中の気温は30度。

ただ夕方に一雨きてからは、急に気温が下がり始めて、夜は20度くらいまで下がっています。

いつも気温の上下の差が10度くらいは当たり前なので、だんだんこんな気候も慣れてきます。

真夏でも春・秋物は仕舞えないし、衣替えといっても、夏場にコートやジャケットをしまって、Tシャツや短パンを出すくらいのものです。

写真はトピックとは関係のないものですが、週末に出かけた公園で、オウムに餌付けをしている人たちを見つけました。

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少し前のことですが、日本の知り合いに電話をしていた時のこと。

「昨日、家族でカニ食べに行ってきたんだよ」ということで、それ以外にもいろいろと、美味しそうな話ばかりを聞かせてくれました。

オーストラリアに住んでいると、日本のカニとは種類が違うし鮮度も違う。お寿司なんて、回転寿司の質や味のものでも、簡単には食べられない。焼肉なんて、和牛とは名ばかりの、日本の本物の和牛とはまったく違うものしか、簡単には手に入りません。

日本っていいよね、なんて話をしていたら、その知り合いは「実はそうでもないんだよ」と聞かせてくれました。

昔は、お店に入ると結構当たり外れというのが多かったように思うのですが、今ではだいたいどこのお店に入っても、平均点の味のものを食べさせてくれる。もしくはおいしいと思えるものが、どこにでもあるそうなのです。

「なんだよ、それっていいことじゃない?」と私が尋ねると、その知り合いは、「でも、昔のような、これ本当においしい」と驚くような感激が無くなったと言います。

だいたいどこのどんなお店にいっても、合格点以上のものが食べられる。美味しいものが食べられる。

でもそれだと、昔なら「おいしい」と思っていたものが、美味しいもの・平均点以上のものに食べ慣れてしまって、「普通」に感じられるようになってしまうっていうことなんだよと。

美味しいと思えるもののハードルが、自然とどんどん上がっているんだよと。


確かにそうですよね、20年も昔といえばかなりの昔の話ですが、レストランのチェーン店、お寿司のチェーン店なんて言っても、味はそこまで良くなかったし、お店を出た後に文句の一つも出たものです。

それが今やチェーン店であってもかなりの味。

20年前に、今のチェーン店の味を食べたとしたら、きっと「おいしい」と思ったはず。今のように「まあまあだったよね」なんて、きっと思わないはずなのです。

それだけに、美味しいものに出会ったときは本当に良い思いをしたと思ったりしたものですが、確かにそういった感激というものは減ってしまっているのかもしれません。

まぁ私にとってみれば、毎回日本に帰って食べるごはんのおいしいこと。ただただ、本当に感激しかないんですけどね。



過ぎたるはなお及ばざるが如し。とはよく言ったもので、確かになんでも便利になった、そしてどんどん向上しているのは良いことですが、行き過ぎてしまうと、人の感動を奪っていくものもあるのだと思います。

今更後戻りはできないことではありますが、今の日本の動きというのはちょっと早すぎる気がしないではないですね。

ちょっとゆっくり立ち止まって、アンティーク時計で癒されてみるのはどうでしょうか?

コチコチと動く時計の音。毎日巻き上げるという手間を楽しむ。デジタル時計には無い、新鮮な感動がそこにはあります。

なんて最後は仕事の話で締めてみました。