アンティーク時計店主のつぶやき

オーストラリアにある高級アンティーク時計専門店メルシーウォッチの店主が綴る、何気ない日常の生活や仕事にまつわるお話しです。

ゆとりと余裕

先日、当店の円高還元セールが終わりましたが、円高と同時にここオーストラリアのオーストラリアドルも高止まりが続いていまして、オーストラリアの経済の堅調さを表しているようです。

日本と比べてどこが秀でているわけでもないのですが、国の大きさからくる余裕なのでしょうか、どこを掘っても資源だらけというような感じですし、食料もたっぷり輸出するほどあるというのですから。

しかも移民の受け入れをしているせいで人口も順調に増え続けているし、それでいてまだ経済的に企業間で競争といえる状態にまでなっていない。

例えるなら本当に昭和50年代頃の日本といった感じでしょうか。経済は順調で人口も増えている、預金を預けても利子が6%近くあるのですから、お金を預けてこれだけも利子があるの?と利子がほぼ0%の国からやってきた私としてはいつもこれには驚かされます。

こんな国だからでしょうか、人々も以前と比べればちょっとぎすぎすした感じはでてきたかな?と思うものの、まだまだリラックスしていて優しさを感じます。

まぁのんびりしすぎていて、サービスなどには呆れることもありますが、この遅さが働く人たちには良い余裕を与えているんだろうなと思います。何と言っても、クレームを付けると店員さんなどは助けてくれなくなりますから。こういう点もある意味で良いことなんだろうと思います。

今日もちょっとバスに乗る用事があったのですが、降りるときに「ありがとう」と運転手に声を掛ける人たちがまだまだ多いです。



こうして考えてみると、日本はいつから変わってしまったんだろうな?と時々思うことがあります。

もうかれこれ数十年前になりますが、バスの運転手さんにありがとうと言っている人はいたように覚えていますし、がんこなお店もあって、間違っているお客様のいうことなんか聞かないなんてところもありました。

子供のころ、悪いことをすれば知らない人からも怒られたし、先生からもバシバシ叩かれたように覚えています。

過当競争ということや余裕の無さ、過剰なまでのサービスや過剰なまでの保護、モンスターペアレンツなど文句を言えばなんとかなるというような風潮があることもかなり危険だと思います。

それをすることで自分の我は通せるかもしれませんが、求めた分、自分が逆の立場になればそういった要求をされるのですから。
返って自分自身の首を絞めつけているのではないかと思わずにはいられません。

それに増して、今は原発のニュースなど暗い話題も多いので、変にニュースばかり見ていると気持ちまで沈んでしまうというものです。



かなり前からずっとオーストラリアで放送されいているのですが、「料理の鉄人」という日本の名番組が英語に翻訳されて放送されています。

今思えば、あの頃の日本って活気があったな、なぜかわからないけどみんな明るかったように思います。

なんでしょうか、今のテレビはどこかドキドキするようなものが無いようにも思います。毎週楽しみに待ってみるような、それでいて娯楽でありながら教育でありながら馬鹿げてもいるし華やかでもある。

今だからこそ、あの頃のようないろいろな意味でずば抜けた番組が放送されてもいいんじゃないかな?とも思います。


まとまりが無いブログになってしまいましたが、今日はふっとバスや電車に乗る時間があったので、そんなことをとめどなく考えてしまいました。

ゆとり教育や完全な平等なんてものは社会にでればありえないので、そんなことはなくても良いはず。
これからは国際競争にもさらされるだろうし、オーストラリアでも中国や韓国の人たちはもっとガンガン意見を言うし前に出てきます。子供のころに競争もさせて理不尽なことも経験しておくべきですよね。それでいて優しさもとなると矛盾しそうなものですが、やるところはやってという感じにならないものでしょうか。

それにしても今の特に都心部はそうでしょうが、社会に心のゆとりや思いやりというのは今以上にきっと必要になってくるんじゃないかなと思います。

前に向かって進むパワーが感じられる。それでいて優しさもモラルもある。そんな古き良き時代が帰ってきてほしいなと思います。